防災・減災への指針 一人一話

2013年10月08日
応援自治体の声 ――宇佐市――
宇佐市職員 税務課市税係 主任
南 壮太郎さん
宇佐市職員 危機管理課防災係 係長
木下 富喜さん
宇佐市職員 総務課行政係 主任
弓場 健悟さん

派遣決定は首長同士の交流という縁から

(聞き手)
 多賀城市との関わりと、多賀城市へ支援に行く事になった経緯を教えてください。

(木下様)
 多賀城市と奈良市が姉妹協定を結ぶ際に、太宰府市長と宇佐市長が立会人となった事がで、首長同士の交流があるので支援先は多賀城市に決まりました。発災当時は、多賀城市の場所を全く知りませんでしたので、調べて場所の確認をしました。また、多賀城市のジャスコ屋上から撮られた津波の映像をYoutubeで見ましたので、甚大な被害があることがわかりました。

派遣職員は希望者から選出

(聞き手)
 宇佐市の水害や地震災害、その他災害で特徴的なものがありましたら教えてください。

(木下様)
 宇佐市の過去の災害に関しては、川の氾濫による水害と台風の風による家屋損壊や倒木などの被害がほとんどです。津波災害の記録は全くありません。土砂崩れや台風被害、梅雨時の水害は毎年危惧される災害です。体に感じる地震は、半年に1回あるかないかくらいです。

(聞き手)
 発災後から応援派遣に至るまでの経緯と応援派遣に行かれた時期を教えてください。

(木下様)
 震災から2~3週間経った頃に、応援派遣の募集があり、希望者は申し出るというかたちでした。宇佐市職員の660名の中で10名程の職員からの申し出がありました。私が派遣されたのは、5月7日から15日の間です。そして、12月12日からは2回目の応援派遣に行きました。

(南様)
 私は、募集開始日の午前中に申し出たのですが、その日のうちに、業務内容が罹災証明発行のための家屋調査である事と派遣期間を告げられました。私は、木下さんから引き継ぐかたちで5月22日から6月2日まで行っておりました。

(弓場)
 私は、宇佐市からの第4陣として、7月21日から8月3日まで行きました。

(聞き手)
 最初に仙台市及び多賀城市に着いた時の印象を教えてください。

(南様)
 市街地の道路を通っていると、被害はあまり感じませんでしたが、沿岸部に家屋被害調査に行った時は、近くの工場から流れ出た物が線路に散らばっていたり、タンクが転倒していたり、家屋自体が完全にぐしゃっと押し潰されてしまっているような光景を目の当たりにしました。

(木下様)
 仙台駅自体は、だいぶ補修されていましたので、仙台市中心部の被害を実感することはありませんでした。私が多賀城市に行った時には、流されてきた家がまだ水路の上にありましたし、沿岸部に近付くとタンクが浮いていたり石油の焼けた跡があったり、川の方では船が打ち上がったままでしたので仙台市中心部に比べたら多賀城市の被害は凄いという印象でした。

マニュアルと前任者からの引き継ぎで対応

(聞き手)
 今回多賀城市で罹災証明発行の業務をされた中で、上手くいった事と上手くいかなかった事を教えてください。

(南様)
 私は、家屋調査の知識が無かったので事前に内閣府が出していた罹災証明発行マニュアルを読みました。また、市役所職員の家の間取りを見せてもらい、1階と2階の屋根の割合や壁の面積の調査の仕方を確認できた事と、木下さんから事前に情報を聞けた事によって調査は上手くいったと思います。

(弓場様)
 私の場合は、第4陣ということで、その頃には多賀城市側の人員の振り分けもスムーズに行われ、既に業務の流れはできていましたからあまり戸惑う事無く行動できました。ただ、私達自身が遠方から出向いているという事もあり、最初のうちは住民の方とのコミュニケーションが少し大変でした。

(木下様)
 私は、宇佐市での固定資産税に関する業務が長かったので、その経験を生かして被害程度の説明ができた事は上手くいった部分だと思います。ただ、他県の応援チームの方々との情報交換や調整をもっとうまく行うことで、再調査となる事例を減らせたのではなかったかと思います。調査時に方言で苦労するかもと思っていましたが、市名入りの腕章を付けていましたので、住民の方々からも配慮頂いただき、特に問題無かったです。

罹災証明の発行手順を修得

(聞き手)
 多賀城市での罹災証明発行業務という今回の経験の中で、宇佐市にとって参考になった点などがありましたら教えてください。

(木下様)
 宇佐市では、過去に津波災害などは無かったため、大量に罹災証明発行する業務を経験した事は無かったのですが、調査から発行に至るまでの一連の流れを、今回多賀城市で経験し、今後万が一宇佐市で災害が起きた場合にその経験を生かせるという風に思いました。

派遣職員の配置と配慮の問題

(聞き手)
 災害の心構えや、地震に対して感じた事がありましたら教えてください。

(弓場様)
 実際に自分が派遣されて感じた事は、人員をいかに上手く、それぞれの仕事に割り当てることができるかが大事だという事、そして、私達、派遣職員に対する気遣いは逆に要らないなという事も感じました。あくまで、私達は多賀城市の支援の目的で行っているので、多賀城市職員からお客さんとして気遣いされてしまうことには、少し違和感を感じてしまいました。むしろ、遠慮しないでどんどん仕事を与えて欲しいと思いました。

(聞き手)
 外部から見た、多賀城市の問題点・改善すべき点を教えてください。

(南様)
 避難時に渋滞が起こりましたので、やはり避難経路は問題点だと思います。

(聞き手)
 今後のマニュアル改訂などに役立てるため、外部から見た多賀城市の問題点をお答えください。

(木下様)
 多賀城市はコンパクト(市の面積が)な市なのでどこに何があるかほぼ把握できている印象ですが、宇佐市は市の面積が広いので把握しきれていない部分もあり、その点は大きな違いだと思いました。また、多賀城市は、宇佐市と比べて県との関わりが薄い印象を受けました。以前に、震災関係の自治体ネットワークということで宮城県に入ったこともありますが、宮城県は大分県よりも市町村への関与が小さく、市町村に任せる部分が多いという印象です。

(聞き手)
 多賀城市の今後の復旧復興に向けて何かお考えはありますか?

(木下様)
 多賀城市は、宮城県の中でも早く復興ができる市だと思いますので、復興と防災のモデルとして地震・津波に強い街づくりを進めて行ってほしいと思います。また、多賀城市は歴史のある街なので、その面も生かして震災の経験も長く伝承して頂きたいです。

「自治体間の横の連携」のモデル

(聞き手)
 東日本大震災を経験した上で後世に伝えたい教訓をお聞かせください。

(南様)
 他の市町村と情報を共有する事によって、もし被災した場合にもお互いスムーズに支援ができると思うので日頃からの情報共有が大事だと思いました。

(木下様)
 地震や津波と関係のない市町村においても、幼いうちからの防災(津波)教育が重要だという事は、現在の防災担当という立場から見ても感じています。多賀城市は、多くの自治体交流(災害協定など)を行っていた事によって比較的早い段階で他自治体の応援が来ていると思います。そういった部分を見ますと他自治体との交流は非常に大切だと思います。私の政策研究の調査でも、多賀城市は独自で長期派遣の方を集められていますので、「自治体間の横の連携」として、一番のモデルとなる自治体という風に感じています。

(弓場様)
 どの場所で何人くらいの人がどういう状況で亡くなったのかという事と、「津波は怖いだけじゃなくて、人の命を奪う」という現実を教訓として伝えていかなければならないと思います。

「防災は重要」との認識が強くなった

(聞き手)
 被害規模を目の当たりにした上で、多賀城市へ行く前と行った後での心境の変化はありましたか?

(南様)
 やはり実際に行ってみないと分からないと思いました。映像では酷い部分のみを映していますが実際はそれだけが全てではないですから。

(木下様)
 私個人としては、行って良かったと思っています。以前は、防災への関心が薄かったのですが、多賀城市に行った事によって私の中で「防災は重要」と認識が大きく変わりました。もし、宇佐市で震度5程度の地震が来た場合、宇佐市全体が同じ震度で揺れると思っていましたが、同じ市の中でも震度6の所と震度3の所があるというような事が多賀城市での調査で分かりました。比較的コンパクト(市の面積が)な多賀城市でさえそのような状態ならば宇佐市の場合はもっと大きな震度の差が出るだろうと非常に勉強になりました。

(聞き手)
 県外の方々に対して、どのような災害の伝え方をすれば良いのか、妙案はありますでしょうか。

(南様)
 震災時の状況などを書いた個人の日記や記録集のような物があると、当時の気持ちが伝わってくると思います。また、PCやタブレットなどの画像で、現在の写真(震災後)に過去の写真(震災前)を重ねることのできるアプリなどを作成し、ここに家があったというような事が分かるようなシステムがあると良いと思います。

海抜掲示板を設置

(聞き手)
 東日本大震災が起きた事による周辺の変化は何かありましたか?

(木下様)
 沿岸部を中心に海抜表示板を取り付けました。最大津波高は、2.7メートルです。宇佐市の沿岸平野部で、避難目的地までの距離がある地域については、沿岸部から高台方面に行く道路が比較的多いため、避難配慮者等は、車での避難も有効な手段のひとつとして考えられるようになりました。

(聞き手)
 長時間、お話を頂きましてありがとうございました。